8年前トラックの運転手をしていた頃の話
今から8年前の話。42歳のオレはトラックの運転手をしていた。
盛岡の配送センターから岩手県内のお店にビールやお酒を運ぶお仕事。
オレは遠野、釜石方面を担当していたが、その地区を次の人に引き継ぐことになった。
なので、次の担当さんと一緒に1週間ほど引き継ぎ地区をまわった。
普段ひとりで仕事をしていることもあってか、はたまた一緒にまわった彼が同年代だったからか、仕事中とはいえ、話は弾みリラックスして1週間をすごした。
そんな空気のなか、
「週休3日の仕事がいいなぁ」と本音をもらすオレ
すると彼は「そんな仕事はない」と断言した。
超肉体労働と4週6休
その頃、オレたちは4週6休といって、日曜日プラス月2回のお休みがとれるシステムで働いていた。
お酒の配送は、一日3~4トンのビールケースやらビール樽やらを荷下ろしする超肉体労働。
なので、お休みの日はほぼ一日グータラ寝てすごすか、当時高校生と中学生だった娘たちの送り迎えをしてすごした。
あと、どうでもいい話だが夕方にテレビでやってた韓国ドラマをみるのも楽しみの一つだった。
そんなこともあって、オレたち(オレだけか?)は週休3日を望んでいたのだが、きっとそこで働く誰もが「現実ではありえない」と思っていたことだろう。
あれから8年、オレはいつの間には週休3日の生活をしている。
目指していたわけではないのに、そうなっていた。

週休3日を望んでた理由
体を休めるだけなら、週休2日で十分なのに、
あのときのオレは、なんで週休3日を望んだのか?
それは書きものをする時間と体力が欲しかったからだ。
そういえば当時のオレはヘタクソな小説を書いたりもしてた。
しかし、次の理由でやめた。
- ヘタクソすぎて逆に面白いくらいだったが、人様にお見せできる出来栄えではなかった。
- 13万文字も書いたのに「あーこれはセンスがないですね」と3行でわかる出来栄えだった。
- 野球やったことがない人が、ヘルメットを逆にかぶってホームベース上にかまえて「さあ来い!」というくらいヘンテコな出来栄えだった。
そうは言っても今だに書きものを続けてるオレ。
小説はセンスがないから書かないけれど、日記帳は書いている。
人生の転機と日記
先日、魔女っ子であるウチの娘(22歳)に「今後の方向性について」を相談したところ、タロットカードを並べながら彼女は言った。
「そろそろ転機みたいよ」と。
「新しく始めるお店のことか?」とたずねる。
オレはテイクアウトのカフェを始めるために、つい先日テナント契約をしたばっかりだった。
しかし、娘の回答は別だった。
「それとは違う。人知れず、ずーっと続けてることない?」と娘
「言霊?」とオレ
「違う」と娘は苦笑いした。
「探し物はこれから始める新しいものじゃなくて、過去の中にあるよ」と娘は占い師らしいことを言った。
『始めては辞める』を繰り返していたことをまた始める
それが何かは、しばらく思い浮かばなかった。
が、ふと先日のインスタライブで「日記だけ書いて過ごしたい」って言ってた自分を思い出した。
なので、「こんなの誰も読まないや」と思って『始めては辞める』のを繰り返していたブログをまた立ち上げた。
週休3日ならコツコツ書いていけるだろう。きっと。
願わくば、このブログが少しでもどこかにいる誰かのお役に立ってることを願います。