人生は短い
50年生きてもっとも実感してる事は『人生は短い』である。
30歳過ぎてからの10年20年なんてあっという間である。
だからと言って「より多くのことを成せるように頑張れ」なんて、これっぽっちも思わない。
なんもせんでも、日々人生はいろいろな出来事を起こしてくれる。
だから自分で何かを巻き起こすと、
『自分で巻き起こした事+人生からの課題』
という二重苦になってしまう。
だからオレは思う。
「日々なにもしないくらいの方がいいのではないか」と。
これまでの経験上、自分から興した出来事はたいてい徒労におわってる。
だから、
・向こうからやってきた出来事
・どうしても動かざるを得ないこと
これらを「人生さんからいただいた課題と思って誠心誠意に取り組んでればいいのではないか」と思っている。
そうすれば、自分の人生のタイムライン上には、純粋な自分自身の課題だけがやってくる。
そのやってきた課題を楽しんで取り組めば良いのではないか、そんな気がしてる。
どうしても避けられない出来事がある
人生の目的を『幸せに生きる』としている方には残念なお知らせかもしれないけど、人生にはどうしても避けられないイベントがあると思う。
これまでの自分の人生を振り返ると、次の3つは避けられなかったことだと思う。
- 消防士になったことと40歳でやめたこと
- 離婚したこと
- キッチンカーをはじめたこと
自分の人生上のほかの出来事も起こるべくして起こってるような気もするが、この3つだけは確実に不思議な偶然が重なり、さらに他に選択肢がなかった。
なので、この3つは起こるべくして起こったことだろう。
この3つに共通することプラス現在の状況を考えると、近い未来の出来事がなんとなく予想できたりする。
でも、それはちょっくら茨(いばら)の道のような気配。
だから、いままで避けてたんだけど。。避けられないかも。
4つ目の避けられないイベント発生か。シクシク( ;∀;)
正直、向き合うのがイヤだ。
いやいや大丈夫大丈夫。
気持ちをしっかり持って進もう。
なんのことかは今は言えない。
生きてるだけで良しとする
生きてるだけで成功
生きてるだけで、自動的に人生さんから「ハイ次の課題はこれね♡」って課題がやってくるので、オレ達みんな生きてるだけで課題をこなしてく成功者である。
ちなみにオレは成功者という言葉に、実はあんまり興味がない。
どちらかというと「達人ですね」といわれた方がうれしい。←どうでもいい情報
役立つことができれば大成功
『幸せになること』を人生の目的にしている方には残念なお知らせかもしれないけれど(二度目)
たぶん人生の目的は『幸せ』ではないかもしれない。
いや、最終的な副産物としては『幸せ』がついてくるんだと思うけど、その前にやらねばならないことがある。
それは『お役立ち』である。
でも、これがなかなか難しい。
親切心の落とし穴
誰かの役に立とうと、その人がやるべき課題をやってあげたりすると逆効果である。
なぜなら、その人の成長を妨げることになるから。
また「ラッキー!」とばかりに利用されたりする。
だからお役立ちする相手やどこまでサポートするかの判断はなかなか難しいところ。
この判断ミスでオレは何回も失敗してきた。
原作「風の谷のナウシカ」でも「森の人は道を指し示すだけ。その道を歩くのは各自ひとり一人が歩かねばならない」的なことが書いてある。
まさにそのとおりだと思う。
示された道を実際に歩いて体験しなければ、その人の果実にはならないのである。
まとめ
今回は50年生きてみて分かったこと3つを挙げました。
- 人生は短い
- どうしても避けられない出来事がある
- 生きてるだけで良しとする
「つまり、何が言いたかったのか?」というと、
人生はある程度オートマ運転になっていて「起こる出来事を体験すること自体が目的なのかもしれませんよ」ってことです。
なので、ポジティブなこともネガティブなことも起こった出来事に対して、どんな感情を抱くのかを観察する。
- 嬉しいとか
- 楽しいとか
- 悲しいとか
- 寂しいとか
- 悔しいとか
- 腹が立つとか
すると、どうなるか?といいますと
人の気持ちが理解できる『思いやり』が育つ。
オレ自身がまだまだ半人前なので、偉そうなことは言えません。
が、『思いやりの心』が育ったその向こうには、もしかしたら皆さんが求める『幸せ』があるのかもしれません。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
このブログが少しでもどこかにいる誰かのお役に立ってたら幸いです。